プロローグ
「がきおやじ」がまた解散することになりました。
これは小説の中の話ではなく本当の話です。
今度こそ永遠のお別れです。
再結成から4年間なんとか頑張ってはきましたが、そろそろ潮時ってやつです。
今まで長い間気にかけてくれていたファンの皆さん、関わっていただいた方々、ほんとうにありがとうございました。
とてもあっけない幕切れですが、バンドにしても人生にしてもあっけなくない幕切れなんてツマミにもならないのでこれはこれでいいんじゃないかと思います。
奇しくも「がきおやじ」の代表曲「ヒーローになりたかった少年の唄」をタイトルにした小説を俺が書き始め、そろそろ連載を開始しようかという時。
まさかこの小説が「がきおやじ」へのレクイエムになるとは俺自身思ってもみませんでしたが、それもまたなにか運命的なことなのかもしれません。
メンバーは散り散りになりますが、皆それぞれ音楽は続けていきます。
これからは俺が「がきおやじ」の唄を一人で背負い歌い続けて行くことになります。
それらはもう「がきおやじ」の曲ではないけれど、もしまだ応援してくれるという人がいるならそんなに嬉しいことはありません。
私はそんな人のためにずっと唄い続けます。
小説には全く関係ないのですが最後の仕事として結局ヒーローになれなかった「がきおやじ」に対する俺の思いを少し綴ってみたいと思います。
これをこの小説のプロローグだと思ってください。
「がきおやじ」というロックバンドのヴォーカルギタリストとして俺が活動をはじめたのは1991年のことだ。
今は2011年だから実に20年もの間ひとつのバンドにこだわってきたことになる。
故郷静岡では不良少年として馬鹿なことばかりやっていた俺だったが、その青春の中心だったのは実はシンナー遊びでもオートバイでもなく、
やっぱり音楽だった。
音楽で生きていくために俺は18歳の時全部を捨てギター一本抱えて上京した。
静岡の同じバンドでドラマーだったOが高校を卒業して先に東京に向かっていた。
奴はS.Eプログラマーとかいうカッコいい都会の職業に就いて会社の寮に住んでいた。
そこは6畳2間とキッチンや風呂トイレのついたアパートで隣の6畳には知らない人間が住んでいたが俺はお構いなしにそこに転がり込んだ。
当時の俺はモサモサとヒゲをはやしていて、まだ未成年だというのにホームレスのおっさんのような風体だった。
ドラマーのOもよく「おまえ年齢をごまかしてんじゃねーか?」と言われるくらいのおっさん風だった。
ガキのくせにオヤジみたいなやつら。で、「がきおやじ」
これがそもそもの発端だった。
20年の間メンバーもいろいろと入れ替わった。
バンドブームも終わりロックも不毛の時代。
売れ線でもないオリジナルソングなんぞで飯を喰うなんてのは本当に難しい。
それぞれがそれぞれの思いを胸にこの「がきおやじ」に入ってきては思いを遂げられずに結局辞めていった。
そんでも谷があれば山もあるもんで、時にはTVやラジオに出演してみたり、大きなステージで演奏したりしたりもした。
ギャラをいっぱいもらってウハウハだったこともCDがいっぱい売れてガッツポーズしたこともある。
しかしやっぱり、ここぞというところでツメが甘くて登りきれない。
時は無情にも流れ、はじめはオヤジみたいなガキだった俺も気がつけばいつしか「諦めきれないまるでガキみたいなオヤジ」になっていた。
最後のメンバー3人になってからは更に拍車をかけて色々なことが起こった。
バンドの面だけじゃなく、本当に次から次へと大きな災難やらチャンスやらが怒涛のごとく押し寄せてきて、もう今が幸せなのか不幸なのかもわからなかった。
よく人生は経験がすべてだという人がいるが、それなら俺もかなりの経験者かもしれない。
軽自動車の中で1年以上も暮らしながら、車の中からラジオに携帯電話で出演して曲紹介をする。
そしてカーラジオから流れ出す自分たちの曲を聴き、その後DJがファンからの熱いメッセージを読む。
明日はライヴだ。これならお客さんもいっぱい来るだろう。
いい気分で車を停めた先は自己破産申し立てのための弁護士事務所の駐車場なのだ。
こんなのは日常茶飯事だった。
俺がどんなにボロボロになっても「がきおやじ」を諦め切れなかった個人的な理由。
完全に「がきおやじ」を手放す段になって改めて考えてみると、それは忘れた頃にちょこちょこと来るチャンスの故だけではなかった。
じゃあ音楽の内容?
メンバー?
お客さん?
長年やったから?
それももちろんあるが、実はそれよりもっともっと大きな理由があったことに気づいた。
俺にとって「がきおやじ」はドラマだったのだ。
演じながら俺は観客として「がきおやじ」というお気に入りのドラマを観ていた。
どれだけ自意識が過剰なんだと言われても仕方がない。本当のことだ。
貧乏人に生まれ、小さな頃からTVの世界に没頭し漫画や本を貪るように読んだ。
しかし俺は第何話に誰が登場したなどといういわゆるマニア的な事はほとんど憶えていない。
俺がそのドラマたちからしかと受け取ったものは生き様や心意気だ。
その主人公たちからかけ離れたようなことをしてしまったときにはヘコみ、まるでヒーローのような振る舞いができたと思っては喜ぶ。
俺にとって「がきおやじ」は自分の所属するバンドでもあったが、実はあしたのジョーであり仮面ライダーでありルパンⅢ世だったのだ。
最後の3人のメンバーになって一番初めに出来た曲がこの「ヒーローになりたかった少年の唄」だったことは、俺に絶大なるパワーをくれた。
この曲がなかったらもしかしたらもっとずっと前に力尽きていたかも知れない。
どんなピンチにあってもへこたれないヒーローたちのように振る舞い演じようと思った。
男は強くなきゃだめだ。
男ならかっこよく生きろ。
今はきっと流行らないであろうこういう言葉を小さな頃から聞かされた俺たち昭和の世代。
「がきおやじ」は今ではあまり聞かなくなってしまったそういう言葉思い起こさせてくれる懐かしいドラマだった。
もしこの小説が誰かにとってそんなドラマになってくれたなら「がきおやじ」も永遠に輝くことになるんだと思う。
そうして俺は「自分自身」という次なるドラマのためにこれからもまた唄い続けよう。
これは小説の中の話ではなく本当の話です。
今度こそ永遠のお別れです。
再結成から4年間なんとか頑張ってはきましたが、そろそろ潮時ってやつです。
今まで長い間気にかけてくれていたファンの皆さん、関わっていただいた方々、ほんとうにありがとうございました。
とてもあっけない幕切れですが、バンドにしても人生にしてもあっけなくない幕切れなんてツマミにもならないのでこれはこれでいいんじゃないかと思います。
奇しくも「がきおやじ」の代表曲「ヒーローになりたかった少年の唄」をタイトルにした小説を俺が書き始め、そろそろ連載を開始しようかという時。
まさかこの小説が「がきおやじ」へのレクイエムになるとは俺自身思ってもみませんでしたが、それもまたなにか運命的なことなのかもしれません。
メンバーは散り散りになりますが、皆それぞれ音楽は続けていきます。
これからは俺が「がきおやじ」の唄を一人で背負い歌い続けて行くことになります。
それらはもう「がきおやじ」の曲ではないけれど、もしまだ応援してくれるという人がいるならそんなに嬉しいことはありません。
私はそんな人のためにずっと唄い続けます。
小説には全く関係ないのですが最後の仕事として結局ヒーローになれなかった「がきおやじ」に対する俺の思いを少し綴ってみたいと思います。
これをこの小説のプロローグだと思ってください。
「がきおやじ」というロックバンドのヴォーカルギタリストとして俺が活動をはじめたのは1991年のことだ。
今は2011年だから実に20年もの間ひとつのバンドにこだわってきたことになる。
故郷静岡では不良少年として馬鹿なことばかりやっていた俺だったが、その青春の中心だったのは実はシンナー遊びでもオートバイでもなく、
やっぱり音楽だった。
音楽で生きていくために俺は18歳の時全部を捨てギター一本抱えて上京した。
静岡の同じバンドでドラマーだったOが高校を卒業して先に東京に向かっていた。
奴はS.Eプログラマーとかいうカッコいい都会の職業に就いて会社の寮に住んでいた。
そこは6畳2間とキッチンや風呂トイレのついたアパートで隣の6畳には知らない人間が住んでいたが俺はお構いなしにそこに転がり込んだ。
当時の俺はモサモサとヒゲをはやしていて、まだ未成年だというのにホームレスのおっさんのような風体だった。
ドラマーのOもよく「おまえ年齢をごまかしてんじゃねーか?」と言われるくらいのおっさん風だった。
ガキのくせにオヤジみたいなやつら。で、「がきおやじ」
これがそもそもの発端だった。
20年の間メンバーもいろいろと入れ替わった。
バンドブームも終わりロックも不毛の時代。
売れ線でもないオリジナルソングなんぞで飯を喰うなんてのは本当に難しい。
それぞれがそれぞれの思いを胸にこの「がきおやじ」に入ってきては思いを遂げられずに結局辞めていった。
そんでも谷があれば山もあるもんで、時にはTVやラジオに出演してみたり、大きなステージで演奏したりしたりもした。
ギャラをいっぱいもらってウハウハだったこともCDがいっぱい売れてガッツポーズしたこともある。
しかしやっぱり、ここぞというところでツメが甘くて登りきれない。
時は無情にも流れ、はじめはオヤジみたいなガキだった俺も気がつけばいつしか「諦めきれないまるでガキみたいなオヤジ」になっていた。
最後のメンバー3人になってからは更に拍車をかけて色々なことが起こった。
バンドの面だけじゃなく、本当に次から次へと大きな災難やらチャンスやらが怒涛のごとく押し寄せてきて、もう今が幸せなのか不幸なのかもわからなかった。
よく人生は経験がすべてだという人がいるが、それなら俺もかなりの経験者かもしれない。
軽自動車の中で1年以上も暮らしながら、車の中からラジオに携帯電話で出演して曲紹介をする。
そしてカーラジオから流れ出す自分たちの曲を聴き、その後DJがファンからの熱いメッセージを読む。
明日はライヴだ。これならお客さんもいっぱい来るだろう。
いい気分で車を停めた先は自己破産申し立てのための弁護士事務所の駐車場なのだ。
こんなのは日常茶飯事だった。
俺がどんなにボロボロになっても「がきおやじ」を諦め切れなかった個人的な理由。
完全に「がきおやじ」を手放す段になって改めて考えてみると、それは忘れた頃にちょこちょこと来るチャンスの故だけではなかった。
じゃあ音楽の内容?
メンバー?
お客さん?
長年やったから?
それももちろんあるが、実はそれよりもっともっと大きな理由があったことに気づいた。
俺にとって「がきおやじ」はドラマだったのだ。
演じながら俺は観客として「がきおやじ」というお気に入りのドラマを観ていた。
どれだけ自意識が過剰なんだと言われても仕方がない。本当のことだ。
貧乏人に生まれ、小さな頃からTVの世界に没頭し漫画や本を貪るように読んだ。
しかし俺は第何話に誰が登場したなどといういわゆるマニア的な事はほとんど憶えていない。
俺がそのドラマたちからしかと受け取ったものは生き様や心意気だ。
その主人公たちからかけ離れたようなことをしてしまったときにはヘコみ、まるでヒーローのような振る舞いができたと思っては喜ぶ。
俺にとって「がきおやじ」は自分の所属するバンドでもあったが、実はあしたのジョーであり仮面ライダーでありルパンⅢ世だったのだ。
最後の3人のメンバーになって一番初めに出来た曲がこの「ヒーローになりたかった少年の唄」だったことは、俺に絶大なるパワーをくれた。
この曲がなかったらもしかしたらもっとずっと前に力尽きていたかも知れない。
どんなピンチにあってもへこたれないヒーローたちのように振る舞い演じようと思った。
男は強くなきゃだめだ。
男ならかっこよく生きろ。
今はきっと流行らないであろうこういう言葉を小さな頃から聞かされた俺たち昭和の世代。
「がきおやじ」は今ではあまり聞かなくなってしまったそういう言葉思い起こさせてくれる懐かしいドラマだった。
もしこの小説が誰かにとってそんなドラマになってくれたなら「がきおやじ」も永遠に輝くことになるんだと思う。
そうして俺は「自分自身」という次なるドラマのためにこれからもまた唄い続けよう。
2011年3月 6日 23:59 |カテゴリー: プロローグ