第三章「脱」

第二十八話

「アハハハハ。」

「見たかよアイツ、なっさけねー顔!」

「あれじゃ到底競馬も勝てないよね。」

「ていうか、勝つもなにもそもそも馬券を買うお金ないんじゃないの?」

「アハハハハハハハ。」

三人が完全に自由を手にした瞬間だった。

「どうせならこのまま終点まで行っちゃおうよ。」

博史の言葉に二人も同意して三人は終点の風見ヶ崎まで行くことにした。

 駅を通過するにつれ、あたりの風景はごちゃごちゃとした繁華街から疎らな古い家並みに変わり、田畑や林が増えてきた。
線路の前方にそびえる山には真っ白に雪が積もり、雪に朝日が反射して窓の外一面が眩しいくらいに輝いていた。

乗客も駅に停車する度にどんどん人数が減り、今はもう同じ車両には5~6人が座っているだけだ。
ここまでくればもうタンザキを心配することもない。


「なあ由佳、金庫の中見たか?」

信一が聞いた。

「ううん、まだ見てない...。」

言いながら由佳はすぐにバッグを開け金庫を取り出した。

「...これ、カギが掛かってるのよ。」

金庫の前面には丸いダイアル型の鍵が付いていて0から9までの数字が書いてある。クルクルと適当に回して開錠レバーをカチャカチャしてみるが一向に開く気配はない。
そんなに頑丈そうでもないから何かに叩きつけて金庫を壊し、無理矢理開けることはできそうだが電車内では無理だ。

「電車を降りてからどこかで壊して開けようよ。」

博史が言った。

「いくらあるかな...。」

信一がニヤリとした。

「私が見た時はかなりあったわよ。」

由佳もニヤリ笑った。

博史が金庫を上下に振ると中身が動いてバサバサ音がする。もしこの中身が全部紙幣だとしたなら、かなりありそうな感じだった。

第二十九話

「終点に着いたらそれからどうするの?」

博史が二人に聞いた。

「とりあえず早く金庫開けてどっかで旨いモン食おうぜ。朝めしあんまり食えなかったからもう俺腹ペコだよ。」

信一が金庫をがさがさ振った。

「これから旅をするのにあまり無駄遣いはできないわ。泊まるのにもお金かかるはずだし...。」

由佳は金庫を信一からもぎ取り隠すようにバッグに入れた。

「泊まるのはどうしよう...。旅館とかって子供だけでも泊めてくれるのかな...。」

博史が心配そうな顔をした。

「うーん...。」

三人とも黙ってしまった。


しばらく考えて、由佳がひらめいた。

「...なら誰も住んでいない空き家を探すっていうのはどう?お金もかからないし...。」

少し遠い目になって続ける。

「昔あの辺によく家族で海水浴に行ったのよ...。確か海の近くに使っていない船の小屋とか、潰れたパチンコ屋とか住めそうなのが色々あったような気がするのよね...。」

「...でもストーブもコタツもないからめちゃ寒いぜ?寝る時の布団はどうすんだよ。」

信一が気乗りしない顔で言い、三人はまた黙り込んだ。
しかし、三人寄ればなんとやら 次は博史がひらめいた。

「そうだ!じゃあさ、寝袋を買おうよ。あれなら持ち運べてどこでも寝れるし、冬山でも全然寒くないってテレビで言ってたよ。」

「おおぉ......。」
「なるほどね......。」

二人が感心した声を出し、博史はちょっと得意げな表情で頬の傷をポリポリと掻いた。

 ガタンゴトンと電車は揺れながら長いトンネルに入った。

旅館よりホテルより寝袋に包まって廃屋や野原で眠るほうがよほど本物の旅らしい。自分達はもう本物の旅人なのだ。

子供たちだけで旅をしながら暮らすなんていう、ブラウン管の向こう側の世界が今現実としてここにあった。

ポォーっという警笛が鳴り響き電車がトンネルの出口を抜けると、右手の窓にキラキラと光る冬の海が見えてきた。

「うわぁ綺麗...。」

呟いて窓の外を見た由佳と、眩しそうに手を額にかざした信一の横顔を見て、博史は自分がこの物語の重要人物に選ばれたことを心から幸せに思った。

間もなく列車は終点の海の町にゆっくりと停車した。

第三十話

駅前は閑散としていた。

夏場は海水浴客で賑わうこの町も冬になると客足はパッタリ途絶えてしまい、駅前の商店街は三分の一ほどしかシャッターを開けていない。

商店街を南に歩いて二~三分も行けば海に出るのだが、その通りにもほとんど人の気配はない。海が近いせいかこのあたりだけは雪も降らなかったようで道路脇に雪はなかった。


 三人は金庫を開けるために人気ない海のほうに向かって歩いた。雪の降らない町だが、それでも海から吹いてくる強い風は身体の芯を凍らすほどに冷たい。

「うぁ寒みぃ~っ......。」

信一は鼻水をすすった。

海岸はコンクリートの防波堤で整備されていて、左手には車の一台もない未舗装の広い駐車場が海風に砂を巻き上げている。

駐車場の奥の空き地に枯れたススキに隠れるようにして警備員室かなにかに使っていたようなプレハブ小屋があるのを由佳が見つけた。

そのプレハブはもう長年使っていないらしく錆だらけで窓ガラスは破れていた。

「あそこ入れるんじゃない?」

由佳が言って三人がプレハブに近づいてみると案の定入口の扉に鍵は掛かっていなかった。

「とりあえず中に入ろう。」

三人は中に入った。

強い海風からは逃れたものの破れた窓ガラスからは時おりヒュ~ッと冷たい風が入ってくる。

信一と博史は床に敷いてある埃まみれのコンパネを「せーのっ」と起こして窓に立てかけ、外にあったブロックを押さえにしてなんとか風を防いだ。

「あとでガムテープで周りを塞げば風は大丈夫そうだね。」

博史が言った。

床は埃だらけでガラス片が散乱していたが、床さえ掃除すれば三人が寝るのにもまずまず困らない広さだ。中にあった壊れたパイロンやら古い机、椅子などを全部外に運び出し部屋を空にすると、ほぼ六畳くらいの立派な部屋になった。

「俺達ってホントにツイてるよな......。もう家が見つかったよ。」

信一が笑った。

二人もニコニコと笑った。

由佳はバッグから早速金庫を取り出し

「さて、これどうやって壊そうかしら......。」

と考え込んだ。


「こんなの外でコンクリに投げ付けりゃすぐぶっこわれるよ。」

信一が金庫を持ってドアを開けるとまた強い浜風が吹き込んだ。


「...信ちゃん、この風の中で壊したら金がみんなどっかへ飛んでっちゃうよ...。」

博史は鼻の頭の傷を撫でた。

「お金がないと寝袋も買えないし、困ったわね......。」

また三人は頭を抱えた。

第三十一話

何か金庫を開けるいいものはないかと外の空き地を三人でウロウロと探しているうちに、信一が外の机の引き出しの奥からハンマーとマイナスドライバーを見つけてきた。

「じゃんじゃじゃ~ん。」

と信一は手にハンマーとドライバーを持ちニカッと笑った。

「おぉっ!それならいけそうだっねっ!!」  

「なんだか運が良すぎて恐いみたい......。」


マイナスドライバーを蓋の隙間に突っ込みハンマーでガンガンと叩く。

見た目とは違い意外に頑丈だ。蓋の隙間はだいぶ広がったがそれでもなかなか壊れてはくれない。

三人がかわるがわる二十分は叩いたが、金庫の形自体はかなり変形したもののまだ蓋は開かなかった。


「うわ痛ぇっ!!ちきしょー、何だよコイツ!」

手元が狂って指を叩いてしまい、苛立った信一がハンマーで金庫を思い切り「ガン」と叩くと「パコッ」と音がして蓋が外れた。

「よっしゃ、やったぁ!」


「!!!!」


「うわぁ......。」

「す...凄ぇ......。」

ひっくり返った手提げ金庫の中からは大量の紙幣がバサッと出た。
それは全て一万円札だった。

「いったいいくらあるんだろう......。」

真ん丸な目をした博史に軽く頷き由佳が紙幣を数えはじめる。

「1枚...2枚...3枚......。」

「...10枚...11...12...。」

第三十二話

「...45...46...47......。」

「疲れたぁ......。まだまだあるわよ。」

途中で数え疲れて由佳は博史に勘定を任した。

「...83...84...85っと!」

数え終わった博史は最後の一枚を空中に投げた。

「八十五万円っ!!」

「ウッヒャ~俺達大金持ちだ!やったあ~!!」

と信一がはしゃいで金を両手につかみ空中にばらまいた。

「コラッ!なくなったらどうすんのよ!!安心はできないわよ。このくらいのお金なんて無駄遣いしたらすぐなくなっちゃうんだから...。」

由佳は急いですぐに紙幣を拾い集めたが、全部拾い終わると

「でも......」

と言ってニヤリと笑い

「やったあ~!!」

と叫んでまた空中に放り投げた。

一万円札は映画のワンシーンのようにスローモーションでヒラヒラと宙を舞った。

博史は大金を手に入れたことよりも、またひとつ自分の人生が物語性を帯びたことに満足していた。


 三人は寝袋と食糧などを買うために強い風の吹く中、駅前の商店街まで歩いた。

大金を持って歩くのは危険なため中から五万円だけ抜いて由佳が持ち、残りはプレハブの床下にタオルに巻いて隠してきた。

五万円とはいえ、昭和五十年代の小学生の彼らにとってはあまりにも大金であり、買い物の時に財布を開けて誰か大人に中身を見られたら、どこで手に入れた金なのかと根掘り葉掘り聞かれるのがオチだ。

財布には二万円だけを入れ、あとは折ったハンカチの中に小さくして隠しておいて、財布が空になったら補充しよう。

二万円も大金には違いないが、寝袋はそんなに安くないだろうからしかたないかな...。

第三十三話

由佳には前もってそういうことをリアルに想像できる先見の明がある。会計係を任せるにはうってつけだった。

 三人は寒さを堪えながら駅前まで歩いてきて、今更ながら商店街のほとんどの店が閉まっていることに気づいた。さっきは金庫のことで頭が一杯で周りのことなどほとんど見ていなかったのだ。

「...なあヒーロー、寝袋ってなに屋に売ってんだよ?」

「...うーん...スポーツ用品店か...あとはホームセンターなんかかなぁ...。」

「この町にそんなナウい店なんてあるのかしら...。」

「とりあえず飯食おうぜ、飯!」

「...そうね...どこか食堂に入って店員さんに聞きこみするっていうのもいいかもしれないわねぇ...。」

由佳はお腹をさすった。

駅前の時計は十二時四十分を指していた。

来々軒というベタな名前の中華料理店の換気口からはモクモクと少しニンニク臭の混じったいい匂いのする湯気が出ていた。

「うぁ~いいニオイ、ここにしようぜ!」

脂で半ば曇ったショウウインドウには、やはり脂まみれの福助人形と並んで蝋で作ったラーメンやら酢豚やらが飾ってあり

「今なら本物じゃなくてこれでも食える。」

と、信一は薄く埃の積もったサンプルを指差した。

暖簾をくぐると店内は薄暗く、脂にまみれた白黒テレビがAMラジオみたいな声で流行中の演歌を歌っていた。
ほかに客は一人もおらず、店主と奥さんらしい中年の女性の二人が厨房で話をしていて三人に気づくと夫婦同時に

「らっしゃーい!」と威勢のいい掛け声を掛けた。

カウンターに三人が並んで腰かけると奥さんのほうがすぐに水の入ったコップを持ってきて

「あら珍しい、可愛いお客さんね。あなたたちだけ?」と優しく笑いながら聞いた。

やはり子供三人だけで店に入ったりするのはリスクが高い。
今日は日曜日だからまだいいが、平日の昼間から町をウロウロしていれば大人たちから「学校はどうしたんだ?」と余計な詮索をされかねない。

(食堂で食べるのは当分やめたほうが良さそうね...。)

由佳は財布とハンカチの入ったポシェットを背中の後ろにそっと隠した。

「俺らだけだよ。それよりおばちゃん、俺ラーメンとチャーハン、超特急で!」

品書きを見もせず信一が注文した。

「えっと俺は...。」

漢字ばかりのメニューには博史の知っているものはなにも見当たらない。元々貧しくて外食などほとんどしたことがなかったのだ。

「じゃ...ラーメン...。」

せっかくの外食なら食べたことのないものを食べてみたかったが、どんな料理があるのかよくわからなかった。

第三十四話

「私は蟹玉ライスをお願いします。申し訳ありませんけどグリーンピースは抜いて下さい。」

由佳は丁寧に言った。

「はい、承りましたっ。...あなたは中学生?しっかりしてて偉いわね。」

「ええ...私は中学二年です。二人が学校の冬期キャンプで使う寝袋を買いに行くのに保護者を頼まれまして。...近くにどこかキャンプ用の寝袋が買える店はありませんか?」

まったくのでまかせなのに微塵も動じない由佳。さすがは女優の娘である。
二人は由佳のいきなりの演技にポカンと口を開けたままテレビでも観るように由佳を眺めた。

「寝袋ねぇ...。」

彼女は少し考えて

「ねぇアンタぁ~っ!寝袋ってのはどこに売ってんのよぉ?」

と厨房の主人に大きな声で聞いた。

「寝袋ぉ?...あぁシュラフみてーなやつか?あーいうのぁ青木スポーツにあんじゃねーかなぁ...。」

「あいよ!」

呼吸の合った問答だ。

「青木スポーツは店を右に出て信号二つ目の菅野歯医者さんを左に曲がって三軒目の左側、看板が出てるからすぐわかるよ。...スポーツ屋のくせに主人はぐうたらだから店は開いてるかわからないけどね。」

と笑った。


「ありがとうございました。助かります。」

由佳は頭をペコリと下げた。


 満腹で店を出た三人は青木スポーツに向かう。

「由佳、凄い演技だったなぁ...。あれならホントに女優になれるよ。」

博史は興奮醒めやらぬといった顔で言った。

「フフフ、なかなかのもんでしょ?ママのおかげね...。大人たちにバレないように二人にも俳優になってもらわなきゃ。」

「俺は松田優作みたいになるぜ。」

信一はウッと言って腹に手を当てすぐまた手のひらを見て

「なんじゃこりゃ~!」

と叫んだ。

「ダメだこりゃ~」

由佳が信一を指差し、顎を突き出しながら言って三人は笑った。

第三十五話

 青木スポーツのシャッターは案の定下りていたが、脇から車庫を覗くと主人らしき男が奥の緑色のネットの中でゴルフの練習をしている。

「すみませ~ん!」

博史が奥に向かって大きな声で叫んだ。

「はいはーい...」

男が奥から出てきた。

「あの...お店は今日は休みなんですか?」

「あぁ...開けてても客がさっぱり来ないから臨時休業中なんだよ。」

苦笑いする。

「僕たち学校で使う寝袋を買いにきたんだけど、スポーツ用品店を回ってきてここでもう五軒目なんです...。もしあったらなんとか売ってもらえませんか?」

今度は博史が役者になった。

「五軒も回ったのか。そりゃ気の毒に...今開けてやるからちょっと待ってな。」

主人はシャッターを開けるために裏口から中に入った。

「ヒーロー、やるじゃない!」

由佳が博史に拳を握って見せた。

ガラガラガラ シャッターが開いた。

「寝袋かぁ...あったかなぁ?ちょっと待っててな。」

主人はカーテンでしきられた倉庫に入ってガサガサと探していたが、しばらくして埃のかぶった段ボールを持ってきた。箱を開けるとビニール袋に入った寝袋がでてきた。

「いくらだったかな...。」

メーカーのカタログをペラペラめくる。

「あぁ...こいつか...5,800円...。まぁ古いから5,000円でいいや。お金足りるかい?」

「おじさん、三つ買うからもうちょいマケてよ。」

信一がすかさず言う。

「なんだよしっかりしてんなぁ...。」

主人は頭を掻いてから机をバンと叩いて

「しゃーないな、ほな三つで13,000円!これ以上はビタ一文まかりまへん!!」

関西弁になった。

「おっしゃ!おっちゃん男前やっ!!」

信一も関西弁で返して交渉は成立した。