第三話

 博史の家は長屋スタイルの築40年という古い借家であった。

 同じ作りのトタン張りのバラックが並んで六つ建っていて、他の家は日曜大工でペンキを塗ったり穴の空いたトタンを修復したりしていてそこそこの体裁を保っていた。しかし博史の家だけは父親が全く何もしないのであちこちにサビが浮き、トタンは穴だらけであり雨漏りがして、割れた窓ガラスはセロハンテープで押さえたままだった。

 小さな台所と便所、風呂の他に四畳半と六畳の二部屋があって父親はいつも奥の四畳半を独占している。家族三人が暮らすのにそれほど狭いとは思わなかったが、博史が一番気になるのは便所だった。

 所謂ボットン便所であり、臭いを止めるためにフタがかぶせてある。ウジを殺す薬や臭い止めの薬を入れるのだが、夏場などはそれでもドアを開けた瞬間にムワッと目にくるような強い臭いがした。

 もし友達を家に呼んでトイレを貸したら自分のだけじゃなく父や母の排泄物までが丸見えになる。それは博史には堪えられない屈辱であり、だから友達を家に呼んだことは生まれてから一度もなかった。


 いつものように部屋の電気を消し、右耳にイアホンをしてテレビを見ながら博史は眠ってしまっていた。

 真夜中の二時過ぎ。そろそろ母が帰ってくる時間だ。

 いつもなら父は完全に熟睡しているし博史もとっくに布団を敷いてちゃんと寝ているのだが、その夜はたまたま父が小便に起きた時に母を送ってきた車が窓の外に停まった。

 座布団の上で眠ってしまっていた博史もちょうどテレビ番組が終了した砂嵐の音で目を醒ました。

 夏であり、六畳間の掃き出しの窓は網戸のまま開けっ放していて、薄いレースのカーテン越しに常夜灯に照らされた目の前の路地はよく見える。

 ブォンと音がして停まった黒いセダンの助手席から白いドレスの母が降りてきた。
同時に運転席側のドアも開き、髪の短い男が一緒に降りた。

 父が便所に入っている間、二人が電灯の下に立ち止まって何か話しているのを博史は暗い部屋の中から見るでもなく眺めていたが、ちょうど父が用を足し終わり便所のドアを閉めた時、二人がいきなり抱き合った。

「えっ!?」

博史は声をあげた。

 瞬間ふと嫌な気配がして後ろを振り向くと、酒臭い息をしながら父が窓の外を見ていた。